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大鏡
一花山
つぎのみかど花山院天皇と申き、〈○中略〉永観二年甲申八月廿八日位につかせ給ふ、御歳十七、完和二年丙戌六月廿三日の夜、あさましく候し事は、人にもしられさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしとぞ、御とし十九、よおたもたせたまふ事二年、其後廿二年はおはしましき、あはれなる事はおりおはしましけるよは、ふぢつぼのうへの御つぼねの小どよりいでさせ給ひけるに、有明の月のいみじうあかゝりければ、見証にこそありけれ、如何あるべからんとおほせられけるお、さりとてとまらせ給ふべきやう侍らず、〈○中略〉さて、つちみかどよりひんがしさまにおはしますに、晴明がいへのまへおわたらせ給へば、みづからのうへにて、手おおびたゞしくはた〳〵とうつなり、みかどおりさせ給ふと見ゆる天変(〇〇)ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな、まいりて奏せん、車にさうぞくとらせよといふこえきかせ給ひけんは、さりともあはれにはおぼしめしけんかし、かつ〳〵しき神一人、だいりにまいれと申ければ、めにはみえぬものゝ、とおしあけていづ、御うしろおや見まいらせけん、たゞいまこれよりすぎさせおはしますといらへけりとかや、其家は、つちみかどまちぐちなれば、御みちなりけり、