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甲陽軍鑑
二品第八
判兵庫星占之事附長坂長閑無面目仕合之事〈○中略〉此兵庫お、毘沙門堂のくり迄召よせられ、武藤三河守、下曾禰両人お問者にて、右の客星吉凶お、兵庫に占せて見給ふに、謹占則書以言上す、抑此星と申は、天下怪異の客星也、雖然今時に当て、何の大名に悪事の可有之あらず、末代におひて、吾朝の古高家次第にめつして、終に悉くなく成給ひ、武道国中の武家の作法お取失ひ、きのふ下人かと見れば、今日は主となり、女が男の出立お仕り、新家のだちて、たとへば舞楽に至る迄、真なることお不見知して、嘲成事お用る故、本侍迄一世の間に、二度三度づゝ作名字おなさるゝ世に成候べし、侍にかぎらず、仏法世法と有之時は、寺方も、久しき正法の宗旨は、次第に衰微して、新き宗旨などゝ雲て繁昌すべし、百姓商人貧人迄も、如此と書て、右の武藤殿下曾禰殿へ渡之、然ば数ならぬ我等体も代々判お占来候へ共、此星の上は、判占も我等迄に仕り、子孫おばしらうとにいたさん、され共嫡子は廿に余候間、是は時々卜致す共、孫には全く占とめさせ候、幸某に、大僧正信玄公大慈大悲の御恵おもつて、信濃国にて所領下され、年来畜候物お譲、跡おしらうとに仕立、甲府にあり付申べく候、嫡子も孫にかゝり、是も甲府に罷有とて、柳小路に屋敷お申請、子と孫とおば商人に仕付、おのれは知行おさし上、近江国に罷帰、五年めに死去と也、