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閑田次筆

紀実完政年間、和泉国貝塚の人、岩橋善兵衛、新に望遠鏡お製す、その形八稜筒、周囲大抵八九寸、長はこれに十倍す、政府の司天台に蛮製のものお蔵めらるゝといへども、其他にきくことなく、善兵衛が製する所はじめなりとぞ、五年丑秋七月廿日、橘南谿の宅に人々つどひて、これおもて諸曜お窺ふに、能肉眼の視ことあたはざる所おわきまふ、もとより蛮人のいふ所に符へり、〈○中略〉又此後同じき七卯のとし十月、善兵衛再びきたり、前の製せしよりも更に大にして、星おみるも亦明なるものお携へて観せしむ、歳星おみるに、星面に三帯ありて、三〈つ〉引の紋のごとし、鎮星お見るに、一〈つ〉の輪ありて、本星お斜に纏へり、其輪左のかたは本星の上にかゝり、右のかたは本星の下に入る、其輪本星の上下に出るゆえに、長く米粒ごとく見えしなり、後又明年辰の春同じくこれお見ず、時に太白星おみるに、すこし虧て十二日の月お見るがごとし、銀河の中の最白きお見れば、細小の星数十百千聚て、紗囊に蛍お盛ごとし、鬼宿中の白尸気おみるに、小星廿八聚りたるなり、以上は橘南谿漢文に記されしお和してこゝに挙ぐ、〈予〉は天学のこと露ばかりも窺はざれば、一言おいるゝに由なし、彼岩橋善兵衛が奇工、実に希代のことゝすべし、京師にも又七なるものゝ自鳴鐘に奇工お尽し、蛮製の器物などたがはず摸せるたぐひ、すべて人の才は他より計るべからざるものなり、