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和漢運気指南
後編
大意国家人民の要用は運気なり、運気の業事は暦に在り、暦の本体は天文なり、此故に運気お知らむと欲せば、先暦象お察すべし、暦象と運気と無相離、是お天文と雲ふ、劉温舒四時気候お論ずるお先とすること、是又素問の意なり、蓋暦は黄帝より興り、尭俊に備はれり、夫より以来歴代の造暦甚多し、往古の暦は寒暑水旱の時お示し、歳気の陰陽大過不及の運お知らしめ、種耕蚕織採薬の時お過つことなきが為にす、後世戦国以来、人皆知阿謀計お事とし、世事紛冗にして、僥幸の富栄お求め、疑惑盛んなり、折節陰陽術数の徒頻に出て、日月星辰の吉凶お語り、禍福の事応お説て俗お動し、事々物々の吉凶お撰むこと専らなる世の慣ひと成りしなり、〈○中略〉悪日に作たる事の末遂ざるお数へて見んも難かるべしと、古人の言葉実に然り、人一生の間、日の吉凶お考験すと雲ふ共、一二甲子の間お過ることなし、天地開けしより此かた、幾千万甲子ならん、其中の一二甲子の考験お例として、前後千万甲子の吉凶お定めむこと猶不審、然ども暦は朝廷の故実にして、其恒例に従ひ、暦家日の吉凶お記す、禍福の応不応は不可知といへ共、事に臨むでは暦お開きて人情の疑ひお決定する世の通義なれば、日お撰ぶことなきことあたはず、雖然和漢の暦本お集めて較考ふるに、日の吉凶其用事全く同き者寡し、蓋天地には日の吉凶なく、人に憑て吉凶あり、此故に水土隔たり、俗同じからざる時は、其吉凶又同じからず、然る時は此国の人は此国の暦に随ひ、此吉凶お撰ぶべきにや、古昔は世質にして、暦の印判なき故に、庶民の家には暦本も不有、偶村長の家に写暦あれば、往て節気お尋ね、吉凶お問ひ、或は仮借して書写せり、今也世治り国安く、土民茅屋に至るまで、判暦不有と雲処なし、誠に公恩日々に用ひて不知、皇沢の忝にあらずや、親家の童蒙強て日お撰ぶに、若は事に害あらんことお恐る、仍て書して暦の主意お知らしめんとなり、