[p.0317]
真暦考
そも〳〵上の件のごと、季(とき)のはじめなども、きはやかにはあらず、月次も日次もなく、又かの天の月による月は有しかども、別事にてありつるなど、すべて事たらはぬに似たれ共、然思ふは、よろづこまやかにこちたきおよきにする、後の世の心にこそあれ、上つ代は、人の心も何もたゞひろく大らかになむ有ければ、さて事はたり、〈○註略〉またかの空なる月による月と、年の来経(きへ)とおしひてひとつに合すわざなどもなくて、たゞ天地のあるがまゝにてなむ有ける、此二方お、暦に一つに合せたるは、いと宜しきに似たれども、まことは天地のありかたにはあらず、もししか一つなるべきことわりなりせば、もとよりおのづからひとつなるべきに、さはあらで、おくれさきだち行たがふは、必別事にて有ぬべきことわりあることなるべし、〈○中略〉これぞこの天地のはじめの時に、皇祖神の造らして、万の国に授けおき給へる天地のおのづからの暦にして、もろこしの国などのごと、人の巧みて作れるにあらざれば、八百万千万年お経ゆけども、いさゝかもたがふふしなく、あらたむるいたづきもなき、たふときめでたき真の暦には有ける、