[p.0325][p.0326]
府内備考
十三浅草
頒暦調所〈又測量所と雲〉按に、本朝にて暦お造らしめられしは、古代よりの事なれど、古くは皆唐国の暦法お用られしなり、本朝の暦法行はれしは、安井算哲〈今の澀川助左衛門が先祖なり、元は碁所にて安井算哲といひしが、後暦学に依て登庸せられ、禄三百俵お賜はり、その後氏名お改めて澀川助左衛門と称す、〉が撰びし貞享暦(○○○)お始とす、其後六十余年お歴て、佐々木文次郎(○○○○○○)と雲者、〈今の吉田勇太郎が先祖なり、後年氏お吉田と改む、〉暦法に達せるお以て、召出されて改暦おなすもの宝暦暦(○○○)也、その後又四十四年にして、改暦ありしより、其術最密お極めて、天度の違なきに至るといへり、完政改暦(○○○○)の時は、高橋作左衛門(○○○○○○)〈今の作左衛門の父なり〉お登庸ありて、是お司らしめらるといへり、