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泰平年表
有徳公
延享二年十月十四日、貞享暦違ひ有之に依て、補暦の事、西川忠次郎〈江〉被仰付、〈公潜邸より既に英意お天文暦算に用ひさせられ、即位の始、寄合建部彦次郎へ親問せられ、又京の銀座中根文右衛門へも下問あり、紀州良工加藤某へ大混天儀お作らしめらる、享保三年御製作の測午表お吹上御表へ設けられ、同年西川如見お長崎より召て其著述お呈進せしめ、延享元年、簡天儀お御親制あり、是年神田佐久間町へ天文台お設け、簡天儀お置る、又此補暦完延二年に到て事なり、土御門泰邦へ挍合せしめらる、惜哉公薨御、其事中頃熄に近く、神田天文台も宝暦七年に廃したり、〉