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府内備考
十三浅草
頒暦調所〈又測量所と雲○中略〉又いにしへ七政暦あり、中古より此法廃れたりしお、新にかうがへて七曜暦お作りて奉りければ、是より永式とはなりける、暦博士幸徳井友親よく学暦の吉凶お考へけるも、此頃友親東へ下り、算哲に其術お学びたりしより、かならず算哲が校合お得て頒行せらるべき由命ありけるとぞ、其後六十余年お歴て(○○○○○○○)、〈○宝暦年中〉又違ひ有けれども、こたびは改暦の事も聞へず、此時佐々木文次郎といふ人、所縁の家、小日向赤城明神の傍に寓居したりけるが、此人、天文暦数に委しければ、ひそかに憂ひ、執政某の邸へ至りて、此事お啓し、且いふ、我言葉お疑ひおぼさば、今年某月朔日蝕すべくして、頒行の暦に日蝕のことお載せず、此日お待てわがことばの妄ならざる事お験みたまへと、果してその日蝕するおもて登庸せられ、改暦の事に預る、是宝暦甲戌暦(○○○○○○)なり、後四十四年にして、〈○完政年中〉又改暦有て、暦数の術本朝の隆盛お極めて、天度の違なき、此時より過るはあらじ、