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天文義論

問ふ、中華、戎蛮、共に天文お精く攻むる事は、其暦お正くし、天下の時お明かに為るの用に非ず哉、然るに中華、日本の暦は、気盈朔虚閏余の算法、甚だ煩労にして、動もすれば天に後れ、天に先て差生ず、差生ずれば、暦法の算数お改む、自古至今、改暦不可勝計、甚紛冗なり、然るに戎蛮紅毛等の暦お尋るに、簡易にして永世不改の暦法也、其法日お表とし、月お裏とす、日お表とすと雲は、日輪南至の時お以て歳の首めとし、其一日其二日其三日と次第して、一月三十一日の月あり、三十日の月あり、二十八日の月ありて、共に十二月お立て一年とす、十二箇月の内、二十八日の月お以て、四年に一度、是お二十九日の月と為て、其年お閏の年とす、四年に一日の閏の外は、別に閏月お置く事なし、其気節は某月の某日と、毎に入節気の定日ある如く、二月の日数お立てたり、是れ日お表としたる也、月の盈虚朔望弦晦は、各其月の裏に附記す、某日は朔、某日は望、某日に初月見はるとして、無定日、是れ月お裏としたる者也、此法甚だ簡易にして、民用足れり、恐くは中華の暦法に勝れる者歟、如何、曰ふ、〈○中略〉戎蛮の暦は、周暦に似たりと雲へども、日お表として閏法無く、二十八日の月お立て、四年に一日お益して、定月とし、気節定日有て、分秒お不竭、粗にして精き法には非ず、最も彼国にては可ならん、唐土、日本、数千歳以来、朔望の法お表とし、節気お其中に附たるの暦にて、人用正く、時お失ふ事なし、況や朔望は日月交合正対の時にて、陰陽の気壮んなる事、気節の交替よりも強く、日月の行も、朔望は進む、況や月行疾速にして、潮水の往来盈涸、盛に万物の気強き時也、疾病の療養、草木の種植、皆朔望弦晦の気お専らに考へずんば有るべからず、何ぞ唯気節のみお先とせんや、然らば月お表とするの暦又最ならずや、