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誠斎雑記
丁未雑記五
頒行暦前文〈○中略〉宝暦五年乙亥暦 貞享以降、距数十年、用一暦、其推歩与天差矣、今立表測景、定気朔而治新暦、以頒之天下、一暦面にいむ日は多しといへども、吉日は、天しや、大みやうの二つのみにて、世俗の最足がたかるべし、仍て今天恩、母倉、月徳三つの吉日お記して、知しむるものなり、一彼岸の中日は、昼夜等分にして、天地の気均しき時なり、前暦の注する所是に違へり、故に今より其誤お糺し、是お附出す、依て前暦の彼岸と春は進之、秋は三日すゝむものなり、一昼夜お分つこと世俗の時取惑多し、仍て一たび翌の字お附出すといへども、なほ其惑解がたし、故に夜半より前お今夜と記し、夜半より後お今暁と記すものなり、 土御門 従三位陰陽安部泰邦 門人〈澀川図書〉 天文生源光洪明和四年丁亥今まで頒給ふ所の暦、日月食三分以下は記し来らず、此たび命ありて、浅食といへども、ことごとく記さしむ、しかれども新暦しらべいまだおはらず、よりて今までの数にならふのみ、