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天朝無窮暦

暦朝の御紀に、毎年十一月朔日の下に、進御暦よし載されたるは、即是なり、但し此は具注暦なるが、彼七曜暦は、正月元日朝賀の後に進らるゝ例にて、御紀に中務省奏七曜暦とある是なり、〈其儀も内裏式に見えて、大抵右の十一月一日の式に同じ、また延喜の中務省式にも出たり、〉さて十一月は、建子の月にて、其中気、冬至に入る日は、来年の歳首にして、謂ゆる一陽来復の時なる故に、此一日に具注御暦お進奉せしめ、正月一日よりして、新年なれば、其年の七曜の所在お知食さむとて、七曜暦お進らしめ給ふなり、〈政事要略に、私問、以十一月朔為奏御暦期、若有故乎、答、慥無所見、但暦家説、白虎通雲とて、例の三統の説あれど信ひがたし、然て具注は、既に雲へる如く、種々の日者説お具注せる暦なる故に、具注といひ、七曜暦は、日月五暦の行度所在お記せる暦なる故に、かく名けたるが、七曜、具注、共に月行お経とし、節気お緯として、日次に月次に配する法なる故に、大陰暦(○○○)といふ、其は月お主とせる義なり、然はあれど、中気なきお以て、閏月に立るは、自然に日行は主の如く、月行は客の如き道理おば免るゝことの能はざるなり、〉