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燕石雑志

更鐘〈○中略〉亦雲、刻はきざみといふことにて、漏水の箭に百の刻お施して、その箭の刻一つうかぶときは一刻、二つうかぶときは二刻と唱ふ、故に子の一刻、〈所謂子一つ〉丑の三刻〈所謂丑三つ〉といふなり、しかれどももしその箭に十二の刻お施して、これお用せば、卯の刻、辰の刻といはんも理なきにはあらず、漢哀帝は、一昼夜お百二十刻(○○○○)とし、梁の武帝は百八十刻(○○○○)とし、廬山の恵遠は四十八刻(○○○○)とし、清の時憲暦は九十六刻(○○○○)とする類、皆その好に従ふのみ、亦更点は夜分に局る名なり、その夜の長短に随て、均く五つに分て、一更、二更、三更、四更、五更と唱ふ、その更お均しく五段として、一点、二点、三点、四点、五点といふ也、冬至の時節は夜長ければ、更点も長し、夏至の時節は夜短ければ、更点も短し、点或は唱といふ、又籌といふ、世俗寅の一点、辰の一点といふ、その訛最甚し、〈以上〉中根彦圭の説なり、