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燕石雑志
五下
鐘声追考、おのれこの書の巻の端に、候鐘の数お弁じて、子午の九つより九々数お逐ひ、左右へ釐出せしもの也といひしは、童子に諭やすからせん為のみ、当初の博士鐘声お定めしときは、楊雄が大玄経に根きたるならん、彼の九八七六五四は律呂の数なり、九々は自然に称る歟、かさねてこゝに弁証す、太玄経雲、子午之数九、〈子為十一月、午為五月、所以数但九者、黄鐘起子也、子午之数但九、乾始於初九、午為子、故倶九也、〉丑未八〈丑為十二月、未為六月、亦其衝也、故倶八也、〉寅申七〈寅正月也、申為七月〉卯酉六〈卯為二月、酉為八月、〉辰戌六〈辰為三月、戌為九月、〉巳亥四〈巳四月、亥為十月、皆以対而数之也、〉故律四十二、呂三十六、〈諸陽皆属律、九七五而倍之、故四十二也、諸陰皆属呂、八六四而倍之、故三十六、〉并律呂之数、或還或否、〈并律呂而数之、得七十八也、八則丑未、所謂還得呂而不得律、故或還或否也、〉凡七十有八、〈律呂之数者也〉黄鐘之数立焉、〈通其大数立於此也〉其以為度也、皆生黄鐘、亦雲甲己之数九、乙庚八、丙辛七、丁壬六、戊癸五、声生於日、律生於辰、声以情質、律以和声、声律相協而八音生、〈見于巻之八第十一張〉亦淮南子巻三、天文訓、輟耕巻五、授時暦法、同書巻二十、納音解等考ふべし、亦近世浮屠氏の作に、鐘鳴録といふもの、律呂お弁じて精細也と称す、その説お聞けば、すべて仏教に据といふ、今これお取らず、結毦録に雲く、昼夜十二時の数は、寅と申お主として、互に陰より陽お呼び、陽より陰お呼ぶ也、寅は陽なり、申は陰なり、夜半子の時一陽生〈す〉、子より申お呼べば、その数九なり、故に子お九とす、丑より申お呼べば、その数八なり、故に丑お八とす、寅より申お呼べば、その数七、故に申の時お七とす、卯より申お呼べば、その数六也、故に卯お六とす、辰より申お呼べば、その数五なり、故に辰お五とす、巳より申お呼べば、その数四なり、故に巳お四とす、これ陽より陰お呼ぶ也、日中午の時一陰生ず、午より寅お呼べば、その数九なり、故に午お九とす、未より寅お呼べば、その数八也、故に未お八とす、申より寅お呼べば、その数七也、故に申お七とす、酉より寅お呼べば、その数六也、故に酉お六とす、戌より寅お呼べば、その数五なり、故に戌お五とす、亥より寅お呼べば、その数四也、故に亥お四とす、これ陰より陽お呼ぶなり、かくのごとく循環して昼夜止む事なき也といへり、この事何の書に出たるおしらず、俗にその本命お、七〈つ〉目とて数るもこれに似たり、疑らくはこの説も、予が九々によりて、九よりこれお数ふといふに等しく、童蒙の解易からん為には理あるに似たれど、古書お引くにあらざれば、君子は取るべからず、且くこゝに録してもて博識の客お俟、