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翁草

関新助算術之事関新助は、元甲府御家来也、文昭院殿〈○徳川家宣〉御治世に至り、御旗本の士となる、〈○中略〉又先年唐より渡りし人形時計(○○○○)有り、下は台にて、上に釣鐘お掛け、唐子の人形、鐘木お持て、時々の数お打、半時おも打也、然れ共年お経て、ぜんまい損じ又は錆朽て、人形働かず、仍時計師お呼被仰付けるに、誰有て直さんと雲者無し、新助是お聞及で、拝見仕度由願ひ、疾と見て、何卒直し可差上と、彼時計お奉預、四五十日程の内に、元の如く直し指上しと也、