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嬉遊笑覧
八方術
卜者お、うらやさん(○○○○○)といふは、うらへさんか、占はすお、うらへといふ活用の語なれ共、体語とす、さんは算なるべし、卅二番職人歌合に、算おき有、〈鶴岡職人歌合にも有〉其歌、こしほどのかり屋の内に身おおけるさん所のものゝ恨めしの世や、判雲、算おきの述懐、輿ほどのかりやの内、さこそとおしはかられ侍り、がうなの貝のかたつぶりの家も、みなおのが身にあはせては不足なきにや、五尺の身三尺のかりやにて、ひねもすとふ人お待居たる一生涯の果報おも、自身にかんがへぬらん、さん所といひ、さん所のものゝとつゞけぬる、いとよくいひくさりぬるにやと有、その絵にかける、げに輿ばかりのかり屋のうちに、文台居て算おける人おかきけり、今街に出たる売卜の古きさまなり、人倫訓蒙図彙に、俗語に、手占見通しなどゝて信仰するなり、伊勢近江讚岐などに此ながれ有て、諸国に出る中にも、かるゆきなるは、道のかたはら、門のすみにうづくまりいて、下輩の男女お相するなり、判の占、五音調子の占、品々あるとかや、其絵のさまは、樹の下に席しきて、法師の黒衣に輪袈裟おかけ、数珠と扇持て居、傍にとふ人どもおかきたり、筮お用ひざりしと見えて、其かたおかゝず、貞享元禄ごろ此さまにて、後は有髪も出来しが、修験者の体なり、貞享十五年栄花咄に、山伏姿と成て、月待日待御一代の吉事御判はんじけるなど見えたり、されど大かた法師の姿なりしは、宝暦ごろ迄も其定なり、俗形の売卜者はいと近と見えたり、西土にはこれお課命とも起課ともいへり、