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甲陽軍鑑
二品第八
判兵庫星占之事附長坂長閑無面目仕合之事甲州西郡十日市場と雲所に、徳厳と雲半俗有、此者甲州市川の文珠へこもり、夢想に八卦お相伝仕りたりとて、在所にて占およく致す、長坂長閑今の徳厳お崇敬して、右判の兵庫が知行お、徳厳に申てとらせんと約諾す、〈○中略〉長坂長閑右の徳厳が事お披露申す、信玄聞召、占は足利にて伝授かと尋させ給ふ(○○○○○○○○○○○○○○○)、長閑承り、八卦にて候が、市川の文珠へこもり、夢想相伝とて、種々上手の奇特有、証拠お半時ばかり申上る、信玄公聞召、長閑能承れとて宣は、八卦と雲本は、吾終に見たこともなけれども、推量に雲、其本に真に出たる文字すくなくとも、二三百もなきことは有まじ、物およむにも、真はむつかしき物ぞ、又夢は定なき者也、麁相なるたとへに、人に逢ても早く別たるは、夢ほど逢たと雲者ぞ、然ばむつかしき学問お、めにもみえぬ文殊の夢に相伝は、皆偽の至也、偽お雲盗人に、将たる者は、対面せぬ者也、其ごとくなる者は、心きたなき故、当座奇特有とても、貧欲心深く、金銀お恵まば、悪おも吉といひ、引出物あたへねば、吉おも悪と雲者也、神変奇特もさぞあるらん、さなくば愚人も何ぞ用ること有まじ、放下と雲者は、矢の篦お二丈も三丈もつぎ、第一の上に茶椀お置、己がはなのさきにのせ、くる〳〵とまはせども、其茶椀落ざるやうにする、是奇特なれども、本意に達せねば何の用にも立ぬおもつて、放下とは名付たり、文珠に夢想相伝の八卦などゝ雲、皆是放下の一類なり、面々可存、但吾朝菅丞相、唐の無準へ参得は、是聖人の勢なり、聖人は過去現在未来三世に通ずる、それお名付て仏と申、又盗賊は現在計に屈託して邪欲有故、天道の悪みおうくる、人間六十二年の身おたもちかね、さまおかへ色おかへ心おぬくは盗人也、邪智深して術おなし、口にも虚言お実のやうにいひ、見ておもしろふ、聞てきゝごとに取なす盗人お放下と名付、一として実の用に不立、再如此者の事、誰にても我前にていはんは、曲事たるべしとのたまへば、長閑赤面して無面目仕合也、