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三易由来記

或人問ふ、四十有九策、十有八変の筮法は、古来よりの法にて、人により聊の異儀こそ有れ、総て偽法なりと、捨たる人は有こと無し、然るお前に、此は絶て筮し得まじき筮法なりと雲〈へ〉るは、何等の説有りて言〈へ〉る事ぞ、答ふ、其謂ゆる古法は、真の古法に非ず、姫昌が新法なること、四十九策お用ふるにて、更に論ひ無き事なり、〈そは既に引たる、通志玉海などに載せる古説に、帰蔵用四十五策、周易用四十九策と有にて知〈る〉べし、〉斯て其古説中に、以象三などの字お鑱入し、再材而後卦と雲ふは、重卦法お示せる語なるお、左右両策お揲へし奇お、指間に狭める後に、掛る義に翻案して掛に作り、一効三変のいと労煩しき擬筮法お作り、且下文に十有八変而成卦ちふ偽文おさへに鑱入せり、〈この偽筮の揲蓍する儀は、漢儒以来の註釈どもに普ねく出て、互に少かの異同はあれど、皆人の知れる事なれば委くは雲はず、〉然るに其筮法はも、四十九策お以て其法の如く行ふに、過不及の数出来て、真筮お得がたき物なり、其は此筮法に従事せる人ながら、真勢達富と雲る人の説に、夫蓍お揲へて得る所の策、四お奇とし八お禺とす、然るに四十九策にては、初変に左手の策お揲へて一お得れば、必ず右の策より三お得て、掛一の策と三合して、五策の奇数と成る、〈これ奇数お得るの一なり、 今雲掛一の策とは、かの偽文の掛一以象三と有るに依りて、右手の一策お、小指間に狭めるお雲へり、下これに効ふべし、〉或は二お得れば、必ず右の策より二お得て、掛一の策と三合して五策の奇と成る、〈これ奇数お得るの二なり〉或は三お得れば、必ず右の策より一お得て掛一の策と三合して、五策の奇数と成る、〈これ奇数お得るの三なり、〉さて四お得れば、必ず右の策より四お得て、掛一の策と三合して、始めて九策の禺数と成る、〈今雲上には四お奇とし、八お禺とすと雲つゝ、此には五策お奇と雲ひ、九策お禺と雲ることは、旧く四十九策お用ひて、其奇偶お断わる説等の中にも、朱熹が説に、一変所余之策、左一則右必三、左二則右亦二、左三則右必一、左四則右亦四、通掛一之策、不五則九、五以一其四而為奇、九以両其四而為偶、奇者三、偶者一也、と有るに当りて雲る説なり、〉是奇数と成るもの三、禺数と成るもの一、此は奇偶三増倍の扁倚なり、凱これお公正の立法と雲むやと言るにて知べし、〈そは信に此説の如く、扁倚なるが故に、試みに蓍お執りて、四象の過不及お験するに、奇数の出ること甚多く、禺数の出ること十中の三に在りて、三奇の老陽、二奇一禺の少陰おの〳〵二十反出る中に、二禺一奇の少陽の出ること、十反に過ず、三禺の老陰出こと僅に一二反なり、是お以て乾卦の出ること常に多く、坤卦の出ること甚希なり、然れば其所属の卦々の出るにも、過不及あること、推て知るべし、古今の易学者流、この議なきは論ふに足らず、四十九策と定めし姫昌は更なり、此お伝へたる孔丘氏も、此に必著ざりしは何ちふ事ぞも、〉然るに此人、四十九策の非お弁へたる説は宜なれど、又別に、九は八の誤字なりと言ふ説お立て、其言に、四十八策の用数にては、初変に、左策お揲へて一お得れば、必ず右の策より二お得て、掛一の策と三合して、四策の奇数と成る、〈これ奇数お得るの一なり〉或は二お得れば、必ず右の策より一お得て、掛一の策と三合して、四策の奇数と成る、〈これ奇数お得るの二なり〉或三お得れば、必ず右の策より四お得て、掛一の策と三合して、八策の禺数と成る、〈これ禺数お得るの一なり〉或は四お得れば、右の策より三お得て、掛一の策と三合して、八策の禺数となる、〈これ禺数お得るの二なり〉是奇数と成るもの二、禺数と成るもの二なれば、奇禺等分にして、十有八変中に隻半の冗策なく、毫髪の支吾なく、真に至正の筮法なりと雲り、〈こは前説と共に、其門人松井暉星と雲ふ人の著せる、象変辞占と雲ふ物に見えたり、〉此は古今の易学者流の説等の中には卓越たる説なれど、仍十有八変の先入、その固疾と成りて、彼四字の鑱入は更なり、掛字は卦字の偽字なる事おも弁へず、別にかく億説お工夫して、本の煩労なる筮法に従つゝ、無証にこの新説おなも立たりける、〈其は此本書に、四十八策の本拠お雲る説に、古伝雲とて、夏には三十八策お用ひ、殷には四十八策お用ふと、四十八策は勿論なり、三十六策にても筮すべし、独四十九策にては、断然として筮すべからずと言へり、然れど四十八策の事は、古書に絶て証文有ことなし、然れば此は上に引たる通志及玉海などに、四十五策と有る由お、途にきゝて聞誤れるか、或は杜撰かの二つお出ず、然ればこそ古伝雲とて、書名おば挙ざりけれ、其道に取りては、無上の重き事なるに、然る億断おしも為べき事かは、〉偖しか新説お立つゝも、其筮法の労煩しく、かつ迂遠にして、急卒の事に施用し難き事おば自知せるが故に、十八変の筮お立る長き間には、自然に神気一致せず、惑乱妄想の発する事あれば、其代りに用ふる由にて、円子とて、表裏に初二三四五上の字お刻み、朱と藍とお刺たるお十八箇作り、そお擲て、本卦及び之卦お索むる挙おしも、吾も用ひ、門人らにも伝へてぞ有ける、此は必かの擲銭、また霊棋などの法よりや思ひ著けむ、〈其円子と雲もの、或人その伝お受たるお、密に見たる事あり、然して彼擲銭法の類おば、甚く斥けて、大切至極の天命お請ひ、鬼神お驚かし奉る事に、児戯玩具に等しき所為にて、不敬侮慢の至なり、不敬無礼なる時は、鬼神感格せず、感格せざれば、其卦応ぜず、何の用おか為む、聖人是が為にこそ、蓍筮の法おば立給へれ、其佗種々の設卦法ありと言へども、都て取るに足ずと、門人その遺説お記せるは、何なる事にか、予お以て是お視れば、円子は更なり、十有八変の筮法も、児戯に等くこそ思はるれ、然れど此 の 達富、及び其 の 門人暉星ばかり、易眼お具し、稽疑判断の法おも、弁へ知たる人はまた無くなむ、〉また是に就て按ふに、近く宝暦の世頃に、平沢常矩と雲る人あり、此人の言に、繫辞伝なる十八変の筮法お、孔子の言と為れど、看来るに、変営数次にして、俄頃弁じ難く、急卒の際いと便利ならず、且註語錯乱して、聖人の全文に非ず、疑はしき者なり、次に擲銭法、心易法、また取捨なくは有べからず、今や年来これお試みて、其一定拠るに足ざる事お悟る故に、古法お斟酌して、自己の発明お加へ、別に一家の法お立つ、惟易の活法に契ひ、応験の過なきに頼る、世の易学者、或は予お扣きて蜂起すとも、是に答ふるに詞お以てせず、直に蓍お立て、其応験お示さむと言へり、〈此は其著せる卜筮経験と雲ふ物に見えたり、十有八変の筮法お看破せる見識の高きこと、古今に類なく、是また易学者流中の一偉人にぞ有ける、〉斯て其筮法に、五十蓍お執り、其一策お取て、格の中刻に置て、虚一に象どり、四十九策お、手に信せて中分して二と為し、右の一分お、格の右の大刻に置き、其中の一策お取りて、左の小指間に掛け、左手の一分お、右手お以て、四々四々と揲へ、八除して其奇策一お乾とし、二お兌とし、余は之に効ひて、是お上卦とし、再総数お合せて、前式の如く、其奇策お見て下卦とし、其変効お取るには、復綜合して、三々三々と揲へ、六除して奇策の数お以て、初より上効までの六位に当て、一効変お作れり、是世に謂ゆる略筮法なり、〈此は其著はせる卜筮蒙〓と雲ものに出せり、然して其卜筮経験には、初二三のみお変ずと、返す返す論へり、松井暉星が此筮法お破れる説に、是変効の法にては、一生涯に幾千万筮お為すと雖ども一卦として不変の卦に遇ふこと無く、かつ固より易道は、変化お尚む事なる故に、二効変もあり、又は三効四効五効もあり、六効皆変の卦もありて、是易の変易効易たる所以なり、然るに此略筮にては、卦ごとに必ず一効変に局れる法なるお以て、不変の卦と、二効以上の変と雲ふ者は、絶て有ことなし、按ふに此は彼邦にて、感動象数易法の取披ひは、一効変の法なりけるお、訛りて擲銭法に転じ、其お我邦に伝へしお、蓍筮に移し転じて、彼八除の法と為たるなり、然ればこそ上卦より卦お起せり、是感動易の遺法なればなり、尋でまだ一人有りて、其法に拠りて、下卦より先に卦お設くる法に為たるが、即今の俗筮式なりと言るは、実に然る事の論ひなりかし、〉抑是徒の然る筮法どもよ、凡て観易の眼高からず、姫昌が偽文に欺かれて、其お批正参考する事お知らず、強ひて努めて荷ひ出せる愚法等にて、太昊神聖の古面目には都て契はぬ事なれば、一切に掃除して、行ひ用ふる事なかれ、