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土佐物語

蓮池戸波落城之事土居治部、其頃蓮池の城下妙蓮寺といふ寺に行、住僧にむかひ、某が当卦の吉凶お考賜り候へと雲ければ、住僧頓て蓍参おとり出し、掛材過揲の後、治部に申さるゝは、風雷益の卦お得て候、必功名成立あるべし、夫益の卦たる、震巽之二卦相合し、風雷の勢交々相助け、日々に進て止ざるの心あり、大川お渉り、往所有に利ありと、辞にみえ候、されども其中、善に遷り過お改は、益事の大なるものにて候、御覚悟有べしとぞ申されける、治部、急度心づき、熱度川は、当国一之大河なり、此川お越行て、立身の方便あるべし、熟当時之変お案ずるに、一条殿〈○一条康政〉行跡人法に違ひ、威勢日に随ひて衰へ、長宗我部は、月お逐て繁昌すれば、終には一国の主とならん器量也、玩其磧礫而不窺玉淵者、不知驪竜之所蟠也とかや、当家お去て秦家〈○秦元親〉につかへば、善に遷、過お改るの理ならんと案じすまし、便宜お窺ふ所に、左京進より使来りければ、大きによろこび、弥藤次新十郎お伴ひて、吉良の城へぞ立越ける、