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大鏡

さても〳〵しげきが年かぞへさせたまへ、たゞなるよりは、としおしり侍らぬがくちおしきにといへば、さふらひいで〳〵とて、十三にておほき大殿にまいりきとのたまへば、とおばかりにて、陽成院おりさせ給ふ年はいますかりけるにこそ、これにておし思ふに、あのよつぎの主は、今十余年がおとゝにこそあめれば、百七十にはすこしあまり、八十にもおよばれにたるべしなど、手おおりかぞへて、いとかばかりのみとしどもは、相人などに相ぜられやせしととへば、させる人にも見え侍らざりき、たゞこまうど〈○高麗人〉のもとに二人つれてまかりたりしかば、二人長命と申しかど、いとかばかりまで候べしとはおもひがけ候べきことか、こと〴〵とはんとおもひたまへしほどに、昭宣公の君達三人おはしましにしかば、え申さずなりにき、それぞかし、時平のおとゞおば御かたちすぐれ、心たましいかしこく、日本のかためともちいんにあまらせ給へりと申、びはどの仲平おばあまり御心うるはしくすなほにて、へつらひかざりたる日本の小国にはおはせぬ相なりと申、貞信公おばあはれ日本のかためやな、かくよおつぎかどおひらく事、たゞこのとのと申たれば、われおあるが中にさえなくてんごくなりとかくいふ、はづかしきことゝおほせられけるは、されどその儀にたがはず、かどおひろげ栄花おひらかせ給へば、なおいみじかりけりと思ひ侍りて、又まかりたりしに、小野宮殿おはしましゝかば、え申さずなりにき、ことさらにあやしき姿おつくりて、下臈のなかに遠くいさせ給へりしお、おほかりし人のうへよりのびあがり見奉りて、およびおさして物お申しかば、なに事ならんと思ひ給へしお、のちにうけたまはりしかば、貴臣よと申けるなり、さるはいとわかくおはします程なりかしな、