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続古事談
二臣節
貞信公、太政大臣に成給ての給ひける、我かたじけなく人臣の位おきはむ、このかみ時平大臣お太政大臣になさるべきよし、前皇おほせられけるに、かのおとヾ奏して申さく、弟忠平必此官にいたるべし、一門に二人いるべからずとて、勅命おうけずといひき、これひが事なり、たヾし三善文君が宮内卿霊託宣して雲く、冥途宮中に、金籍の銘に太政大臣従一位としるせりと雲て、其時此事おうたがひき、今むなしからず、又故大江玉淵朝臣、我お相して官位おきはむべしと雲き、はたして相かなへりとぞの給ひける、〈○中略〉西宮左大臣〈○源高明〉日くれて、内よりまかり出給けるに、二条大宮の辻おすぐるに、神泉苑の丑寅の角、冷泉院の未申の角のついぢの内に、むねついぢの覆にあたるほどに、たけたかきもの三人たちて、大臣さきおふ声おきヽては、うつぶし、おはぬ時は、さし出けり、大臣其心お得て、しきりにさきおおはしむ、ついぢおすぐるほどに、大臣の名およぶ、其後ほどなく大事出きて、左遷せられけり、神泉の競馬の時、陰陽識神お啒してうづめるお、今に解除せず、其霊ありとなんいひつたへたる、今もすぐべからずとぞ、ありゆきといふ陰陽師は申ける、このおとヾ行幸につかまつられたりけるお、伴別当廉平と雲相人見て、いまだかヽる人みずとほめけるが、すぎ給て後、うしろおみて、背に吉相なかりけり、おそらくは遷謫の事あらむと雲ける、はたして其詞の如し、