[p.0571][p.0572]
大鏡
七道長
故女院〈○東三条院藤原詮子〉の御修法して、飯室権僧正のおはしまし候はん僧にて、相人の候しお、女房どものよびて相せられけるついでに、内の大炊殿〈○道隆〉はいかゞおはするととふに、いとかしこうおはします、中宮大夫殿〈○道長〉こそいみじくおはしませといふ、又あはた殿〈○道兼〉おとひたてまつれば、それもいとかしこうおはします、大臣の相おはします、又あはれ中宮大夫殿にこそいみじうおはしませといふ、また権大納言殿〈○伊周〉おとひ奉れば、それもいとやむごとなくおはします、いかづちの相おはしますと申ければ、いかづちはいかなるぞととふに、ひときはゝいとたかくなれど、のちどものなきなり、されば御すえいかゞおはしまさんと見えたり、中宮大夫殿こそ、かぎりなくきはなくはおはしませとこそ、人おとひたてまつるたびには、此入道殿おかならずひきそへ奉りてほめ申、いかにおはすれば、かくたびごとにはきこえ給ふぞといへば、第一の相には、虎子如渡深山峯なりと申たるに、いさゝかもたがはせ給はねば、かく申侍るなり、このたとひは、とらの子のけはしき山のみねおわたるがごとしと申なり、御かたちようて、いはゞ毘沙門のいきほひ見たてまつるがやうにおはします、御さうかくのごとしといへば、たれよりもすぐれ給へりとこそ申けれ、いみじかりける上ずかな、あてたがはせ給へる事やはおはしますめる、帥のおとゞは大臣まですがやかになり給へりしお、はじめよしとはいひけるなめり、いかづちはおちぬれど又もあがる物お、ほしのおちていしとなるにぞたとふべきにや、それこそかへりあがることなけれ、