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雲萍雑志

洛の七条に浄味七郎兵衛といふ釜師あり、家富さかえて、多くの人お仕ひけるころ、伏見に人相およくするものありて、ある時、浄味お見ていひけるは、御身今は何ひとつ不足なけれども、五十歳お超えて後には、かならず乞食ともなるべきほどのあしき相あり、つゝしみ給へといふによりて、浄味予〈○柳沢里恭〉に問けるは、人相はしかとしたる書にも出侍ることにやといへるに、予答ていふ、人相の書くさ〴〵ありて、その理かならずあることなり、〈○中略〉されば御もとも、人相おみせられしところ、則乞食の相おまうけ出したるなれば、果したまへといふに、浄味は頭おふりて、身の持やうによるべし、相お果すなどゝは、その意お得ざることなりとて帰りぬ、それより浄味は、四十五六のとしよりして、おひ〳〵よからぬことゞもありて、そのみつひに零落におよび、八年がほど過て、清水坂に乞食となりいたるお見し人ありとかたりぬ、浄味七郎兵衛は、阿弥陀堂といふ釜おはじめて摸せし釜師の上手なりき、