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春雨楼叢書
十一
相学奇談ある人語りけるは、浅草辺の町家に居ける人、甚相術に妙お得たり、予友人も、其相お見せけるに、不思議に未前お雲当けるが、援に麹町辺に有徳なる町家にて、幼年より召仕手代にて、取立、店の事も呑込、実体に勤ける故、相応に元手金おも渡し、不遠別株に致させんと心掛しに、或日彼手代、相人の方へ来りて相お見せけるに、相人の雲く、御身は生涯の善悪お見る沙汰にあらず、気の毒なる事には、来年の六月の頃にて、果て死んと雲ければ、彼もの大に驚き、猶又右相人委細見届、兎角死相ありと申ければ、強て実事共思はねど、礼謝して帰けるが、兎角に心にかゝりて、鬱々としてたのしまず、律義なる心より、一途に来年は死んものと観じて、親方へいとまお願ひける、親方大におどろき、いか成訳有てと尋ければ、さしたる訳も無れど、隻出家の心あれば、平に暇お給るべしと望し故、しからば心懸置し金子も可遣と雲ければ、元より世お捨る心なれば、若入用あらば可願とて、一銭も不請、貯置し衣類など売払ひ、小家おもとめ、或は托鉢し、又は神社仏閣に詣、誠に其日限の身と、明暮命終お待くらしける、或日両国橋朝とく渡りけるに、年頃弐拾歳計なる女、身お沈んと、欄干に上り、手お合居しに、彼手代見付引下し、いか成訳にて、死お極めしやと尋ければ、我身は越後国高田在の百姓の娘にて、親も相応にくらしけるが、近きあたりの者と密通し、在所お立退、江戸表へ出、五六年も夫婦暮しけるが、右男よからぬ生れにて、身上も持崩し、かつ〳〵の暮しの上、夫なるもの煩て身まかりぬ、然るに店賃其外借用多く、つくのふべき手段なければ、我が親元は相応なると聞て、家賃其外借金たまり、日々責られ、若気にて一旦国元お立退たれば、今更親元へ顔も向難く、死お極めし也、ゆるして給へと、泣々語りければ、右新道心も、かゝる哀お聞すてんも不便也、右借財の訳も細かに聞けるに、わづかの金子故、立帰り親方へかく〳〵の事也、兼て可給金子の内、我身入用有之事故、かし給へと歎きければ、親方も哀に思ひ、右金子の内五両かし遣しければ、右の金にて諸払致し、店お仕廻はせ、近所の者に頼みて、親元へ委細の訳お認、書状添送らせければ、右親元越後なる百姓は、身元厚く近郷にて長ともいへるもの故、娘の再度帰り来りし事お歓び、勘当おゆるし、送りし人おもあつく礼謝し、右新同心の元へも礼状等厚くなしけると也、是は扠置、来る年の春も過、夏も六月に至り、水無月祓も済けれど、新道心の身に聊煩はしき事もなく、中々死期の可来とも思はれねば、さては相人の口に欺れける口惜さよと、親方へも始終有の儘に咄しければ、親方も大におどろき、女が律義にて、欺れしは是非もなし、彼相人の害おなせる憎さよと、我彼ものゝ所へ行、責ては恥辱お与へ、以来外々の見こらしにせんとて、道心お連て相人のもとへ至り、右道心おば門口格子の先に残し、さあらぬ体にて案内お乞、相人に対面し、相お見て貰んため来りしと申ければ、相人得と其相お見て、御身の相、何もかはる事なし、されど御身は相お見せに来り給ふにあらず、外に子細有て来り給ふなるべしと、席お立て表の方お見、右新道心の格子の元に居しお見て、さて〳〵不思議なる事哉、此方へ入給へと、右同心の様子お微細に見て、御身は去年の冬、我等相お見けるが、当夏までにはかならず死し給はんと雲し人也、命めでたく来り給ふ事、我が相学の違ならんか、内へ入給へと座敷へ伴ひ、天眼鏡にうつし、得と考、去年見しにさして違ふことなきが、御身は人の命か、又ものゝ命お助け給へる事有べし、具に語り給へと雲ければ、主従大に驚き、両国にて女お助しこと、夫よりの始終、くわしく語ければ、全右の慈心が相お改候也、此上命恙なしと、横手お打て感心しける、主人も大によろこび、右手代還俗させ、越後へ送りし女おもらひ、夫婦となし、今まのあたり栄へ暮しけると也、