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梧窻漫筆
三編上
就中、山三郎〈○名古屋〉は容色も殊絶し、勇気も勝れ、十三歳の時に武功あり、十七歳の時に氏郷卒し、浪人となり、父の許に帰り、京洛に在りて衣服刀剣に、珠璣錦絵お施し、華靡侈麗お窮極して寺観に游跋せしが、高貴の婦人に眷恋せられ、屡姦乱おなす、其臭声世に布たれば、勇名は有ながら、聘して臣とする公侯もなく、久しく沈淪せしが、森忠政に仕へて三左衛門と改め、三千石の禄お食めり、頃之して井戸理兵衛と雲者の打手に向て、反擊に遭て無名の死お為せり、相家の説(○○○○)に、多く婦女お犯せるものは、姦淫ならざるも令終なしと雲へり、謂れある事ならん、