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東牖子

家相大に流行し、都鄙賢愚これに著する人多し、按るに、劉琦が釈名に宅托也、人之倚処也とて、必竟人の入物、或は外箱などゝおなじく、又刀剣の鞘柄のごとく、何程外飾見事に金銀お鏤たりとも、身鈍刀ならば、何の用にか立んや、〈○中略〉援に予〈○田宮宣〉遊歴中に、おかしき話有、和州竜田なる一商賈、家相お改んと、態々浪花より家相者お招き、差図お請て宅お造作し、十分の吉相となして、両三け年の間、福今や来らんと待うちに、身上不如意になり、剰逐転し、家断絶に及びぬ、又予が寓せし隣村に、同く家相者に指図お受て、門お建変、土蔵お挽きて、相者の意に任せ、吉相満りと悦びしに、翌年の春、全家温疫お病み、其上相続とすべき盛仁の嫡子お失ひ、普請に散財し、先祖伝来の住居お変じたり、其大不幸何によつてか避ることなきや、然共其惑いよ〳〵解ず、益家相お淫し、人にも勧む、其男は予が知れる百姓にて、村長おも勤め怜悧なる男なり、