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しりうごと
祐天大僧正小山田与清お呵す先年墓相の説お主張して、支那の陰陽五行家の書より抄録して、門人どもに墓相小言お作らせ、また束修已上の門人には、別に口訣おさづくるよし、口訣もさだめて囲墓書などの説お書きぬきにして、人に示すならんが、唐土の墓相家説に、しか〴〵の相の墓は、子孫かならず公卿お出だし封侯お出だすなどゝあれども、吾朝の人にそのまゝ示す事は、禁お犯すにちかしといふべし、それは太平二百余年の今、公卿は公卿の分、封侯二千石は封侯二千石の分あることにて、おのが子孫おして、公卿封侯たらしめんとおもふは、士庶の分おしらざる乱賊の人なる故、たとへいかなる美相ありとも、大声にはいはれぬことなり、その方も官途の事おしらざる者ならねば、かの口伝の巻物にも、さだめし明々地には書かざるならん、然れども住居より北の方の墓がよしなどゝ、小言にいひしはいかなることぞ、わが本山などは、芝から品川あたりの者ならでは、北方にあたらず、されども格別南西の旦方のあしきといふ説お聞きたることもなし、これらはなはだ禁忌に拘はることなるおしらずや、しかるにその方が説にまどはされて、改葬せしもの少からず、大きに難澀したるものもありしよし、これらはなはだ天下の害なり、当時寺院おほく、旦方おほきによりて、金一升の土地、墓相のよき様に、好みだておすることは、列侯貴人か、田舎ならでは出来ぬことにて、たとひその方が口訣お得ても、わづかに田楽石の一本も立つるばかりの庶人は、改葬せんにも地面はせまし、さりとて打すておく時に、家に不祥のことあるか、病人夭折、火災盗難あるときは、さればこそ墓相のよからぬ故なれと気にかけて、弥々衰亡するもおほし、全体ちかごろは、堪輿家相の説はやりて、勝手のわるき所へ窻おあけたり、戸おふさぎたり、不勝手にすることおよしと心得るものおほく、つひには家作に気おもむために、身上も不勝手となる者ことに多し、これらさへ歎息のかぎりなるお、又候その方がために、墓地にまでまごつきて、住持に難儀さするものまゝあるよし、わが末徒どもゝ迷惑することなり、それほど墓相にくはしきその方、何しに子お先立つるやうの逆ありしぞ、もとより穢土に住する如夢幻泡影の身として、吾子の夭折することさへしらず、たゞ書面の墓相説おあげて、口伝などゝのぶること、人はみな書およまぬものにしたる自許の所為、はなはだすまぬことなり、ことにこれは、太田錦城が世上の家相方位の説おなすものゝ流行おうらやみ、種々の家相書お著述して、愚人おたぶらかしたる術計おぬすんで、利お射んと欲せるにて、その方すこぶる黄金家にてありながら、尚卑劣なる金まうけしたがる癖あるは、つひに死して有財餓鬼とならんことうたがひなし、