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塵添壒囊抄

凶宅事居所に悪所と雲事あるは実証なきに非ず、さること無と雲説如何、 悪所と名るに二の別あり、一には鬼神等其の家に住して、人お損し種々の形お現ずるに依て是おすつ、善相公の鬼殿に行て異形の者共お見けるが如し、是は実証目に顕るヽ上は勿論也、二にはさることは無して、住する人、物悪く衰へやみなどするお打続すれば、是お家のたヽりと思て、悪所と名て人不居、是に不実の疑有るべき也、楽天の詩に作りておろかなる事にの玉へる、此篇に付て僻心得の有る故也、居る主の打続き其身に災あり、物悪かるべき運のあらむは、全く家の所為、所の妭には非ざるお押付て、推して思なしに是お居所のとがと雲なして、人運の衰へ物の悪あるべき故の自然に相続する道理おば、思入れぬ事お愚也とは雲也、彼の凶宅の詩には、人疑不敢買、日毀土木功、差々俗人心、甚矣其愚蒙、但懼災将至、不思禍所従、我今題此詩、欲寤迷者胸、雲へり、終の詞には、寄言家与国人、凶非宅凶、と仰られたり、江相公対策にも、安舞吉凶とこそ書たれ、同じ心にや、