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難波江
七下
墨色〈拆字 測字 破字 相字 相印 相手板 相笏〉 相字破字の疑は、もと陰陽五行家のいひいでたることにて、西土より伝播したることは、いふもさらなり、明崔紫虚の相字心経〈百家名書、格致叢書などにも入、〉胡文煥の銭塘副墨など、そのすぢおかけるものなり、欽定四庫全書総目に、神機相字法〈術数存目〉一巻あり、撰人未詳といへり、舶来有りやいまだしらず、銭遵王読書敏求記巻三、相法の条に、相字心易一巻おのせたり、是も撰者しれず、銭大昕が恒言録巻六に、拆字、隋書経籍志、有破字要訣一巻、顔氏家訓書証篇雲、拭卜破字経、及鮑昭謎字、皆取会流俗、盧召弓雲、破字即今之柝字也、と有るにて、拆字破字おなじことなるおさとるべし、又程省以三〈時代未考〉の測字秘牒といふものあり、此書破字卜法お詳にしるす、〈漢鏡斉四種の一なり、清道光甲申程芝雲の序あり、この人の同宗か、猶よく考ふべし、〉隋志〈五行〉相手板経六巻、〈梁の相手板経、受版図韋氏の相板印法指略抄、巍征東将軍程申伯の相印法各一巻、亡、〉とみえ、巍志巻九注に、巍氏春秋お載せて、允善相印、将拝、以印不善、使更刻之、如此者三、允曰、印雖始成、而已被辱、問送印者、果懐之、而墜於廁、相印書曰、相印法、本出陳長文、以語韋仲将、印工楊利従仲将受法、以語許士宗利、以法術占吉凶、十中可八九、仲将問長文、従誰得法、長文曰本出漢世、有相印相笏経雲々、とあるなどおみれば、漢の比よりはやくいひいでたることゝおもはる、雑々拾遺巻一〈此書、元禄八乙亥刊本、六巻也、其後古今拾遺著聞集と題号お改め、弘化三年藤原行定自序あり、〉〈安倍有宗判うらなひ、付明の大宗の事、〉安倍晴明十五代の後胤従三位有宗入道は、天文博士にて、兼好が友人なり、ことに判形お見て吉凶おいふに、ひとつもあやまらず、人みな帰依しけり、もろこしにも此ためしあり、異国の書には、字お分つ者とあり、みな判うらなひの事也、明朝の大祖いまだ隻人の時行末の安否きかまほしくて、字おわかつ人の方へゆき、案内して庭に立ながら、しか〴〵の事おたづねらるゝに、あるじ立出て、何にても文字おかきてみせ給へといふ、大祖持たる杖にて土上に一文おかき給ふ、あるじおどろきて、さてもめでたき御事なりと拝伏す、とてものついでに今一字おみ侍らむといふ、大祖何ごゝろなく、又問の字お書きてみせらる、いよ〳〵うたがふ所なく天子の御器量あり、土のうへに一文字お加ふれば、王の字なり、後の問の字おわかつ時は、左につけても、右に付ても、君の字なり、たのもしくおぼしめさるべし雲々、大明の史伝に書きのせたり、