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幸庵夜話
一予判お占ひ、名乗字の善悪お考、其外家の住居々々の恰合により吉凶、大戸口の建様等、品々土御門兵部少輔家来に、花形六左衛門と申候てあり、昔予近付に成申候比、六十歳計に相みへ申候、此六左衛門、右陰陽道に妙お得たるものにて候、若輩より勤仕して、よく習得たり、此六左衛門に伝授いたし候、然ども終に考ふる事もなく打過候、先年於護国寺、住持の判おすへ為見被申候処に、追付位進可被申候、但し先お折判形に候間、末は宜かる間敷候条、御慎可有之候と申候処に、護持院の住持職に被仰付、大僧正に被仰付候、夫より隠居、其上にも結構成様子に候処に、当御代〈家宣公〉に成て、公儀表悪敷、逼塞一命お御助け置被遊迄之首尾に成候、亦護国寺の役者の内、普門院右住持大僧正に成申お見て、予お信仰にて判おして見せ申候、殊之外能判にて、寺領有之寺〈江〉居り可申と判申候へば、国は何方にて可有之と、狂言に尋申候故、則江戸の地にて候、此墨薄き点が当地と察申候、さあらば土地は一方に山、一方に海道お請て、片さがりなる土地にて候、前には流有て、後は地つまり可申候、青竜白虎朱雀玄武の理に協ひ、四神相応の寺地に居はり可被申と判じ候へば、普門院喜悦之処、総出家中、先祝おいたし候へとて、吸物酒など、普門院に出させ、予も打まじり、なぐさみ申候、然処無程一位様〈○桂昌院、徳川綱吉生母、〉の御寺、日下窪の薬王寺後往に被仰付候、寺領武州六郷にて百石御寄附、予が判じ申如く、土地の体相違無之候、後はつまり候へども、門前百間有之候、何かに福有の寺にて候、右両様の判よく考合申候故、護国寺護持院の出家中は、予お信仰にて候、