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金洞山縁記
長清道士(○○○○)は、もと相州北条家の臣にて、其父も名ある勇士なりしが、関中擾乱の時、賊兵某の為に殺されたり、道士其讐お復する事お得ず、遂に上野国金洞山に隠れ、人跡絶たる巌窟お栖所となし、黄精或は木菓の類お食し、日々苦身焦思して、兵法擊剣の術お学ぶこと数年なれども、世の人更に知者なし、〈○中略〉道士退きて剣おなげすて憮然として歎じて曰、以武犯禁、凱盛徳之事乎、我将為吾所欲、嗚呼又何求とて、遂に再び金洞山に隠れ、仙道お修し、浩気お養ひ、恒に鉄屐お履み、鉄杖お執て、風に御し、雲に乗て行こと実地お踏が如し、人これお見て驚嘆せざるはなし、或時一匹の犢牛、何国より来りけん、石室の辺お去らず、道士其心お知り、牛も亦道士の意おしりて、馴つかふる事奴僕の如し、毎に来る事あれば、書お竹筒に入れて牛の角に掛け、松枝駅に到らしむ、市人これお見て、仙人の牛来れりと、筒中の書お披見て、則其求る所の物お牛の背に載せ、又角に掛けなどすれば、牛即足にまかせて山に帰る、其路甚けはしくして、牛馬の通ふ所にあらざれども、其行こと平地の如し、是に依て衆人道士お景慕せざるはなし、尋入て教お請ふ者あれば、唯諸悪莫作、衆善奉行と雲ひ、目お閉て開く事なし、病者行て治お請ふ者あれば、是に善道お説示して、薬お与ふるもあり、呪文お授くるもあり、皆治せざるはなし、〈○中略〉或時麓の里に病者ありて、其家に行き呪お授け終りて忽雲、今山にも来りて呪お乞ふ者ありとて、ふと立出、庭中の柿の木に登れり、家人ども柿の御好ならば、取らせ申さんとて跡より登るに、道士は其梢より虚空おふむ事坦途の如く、倏然として飛去れり、人々大に驚き、山に行て窺ふに、呪文もはや半過しとかや、是より後、皆人其飛行自在お知らざるはなし、〈○中略〉されば衆人の是お敬する事鬼神の如く、是に事ふること主君の如し、狼熊の類と雖、よく馴近づけり、或夜烈風暴雨にはかに至り、丘壑鳴動し、山鬼号哭する事、百雷の頭お圧するが如し、道士色お正うして是お叱るに、忽然としてやみぬ、おりふし其所に往合せ居たる人ありて、其状景お恠しみ、是お問ふに、道士の曰、我眷属に法お犯す者あり、今是お責るなりと、其道術かくの如く奇なり、道士容貌奇偉、胆力不測、平生面色桃花の如くにて、五十許の齢と見えけるとなん、慕ふ者の群来るお厭ふにてもやありけん、延宝癸丑の年、享年百四十八歳にて、石窟にこもり、巌扃お掩て入定せり、牛も亦随て死す、道士石像、及木像、並鉄杖、鉄履、牛頭より出し白玉、又其遺骨数片、今猶存せり、