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西遊記

仙人おほよその人、皆才徳の事に限らず、もし長生お得んと欲せば、深山に入り飲食お断ち、思慮おやめ、淫事お断し、衣服お除きて、性命お養ふ時は、下凡の人といへども、二三百歳の寿お保つべし、当時霧島山に独りの仙人有り、其名お雲居官蔵(○○○○)といふ、もとは武士にて、平瀬甚兵衛といひしが、聊不平の事ありて、官禄お捨て世おのがれ、此山奥に隠れて人にまみえず、其後数十年へて、霧島山に住りといふお、親属の方へも聞へ、甥の得能武左衛門といふ人、はる〴〵と霧島山に尋入り、数日尋求めてやう〳〵にめぐり逢たり、其形木の葉の衣に、髪髯おのづからに生ひ茂り、人のごとくには見へず、されど武左衛門も厚く心にかけて尋入りたる事なれば、言葉おかけて近付寄り、今一たび世に返り、人の交りもあれかしと、理おせめていひしかど、更にうけがふ色無く、はや世お逃れて幾年かへぬ、近き頃は仙術もやゝ成就して、姓名も雲居官蔵と改めたり、よそながらにも世の人に相見る事、我道の妨げなり、まして再び世に出ん事思ひもよらず、此後はいかなる事ありとも、尋来る事なかれとて走り去れり、武左衛門も是非なく別れ帰りぬ、其後は山深く住居て、ほのかにも人にまみゆる事お嫌へり、まして言葉おかはす事などはさらに無し、山に入りて後も、今まで既に百何十年といふ上に成れり、されど行歩健にて、老たるとも若きとも知れず、彼辺にては人皆仙人なりと敬ひ、飛行自在、其外種々の奇妙多しといへども、其事は知らず、〈○中略〉又肥後国球磨郡の、人吉の城下より十里ばかり奥に、たら木といふ所あり、此所に吉村専兵衛といふ百姓あり、年六十計の時、家業不如意にて世の中うとましく、ふと仙術に志して、此たら木の山奥に入れり、城下だに深山の奥にて、他所より見れば仙境のごとき地なるに、又それより十里もおく、誠に人倫も希なる地なるお、猶避逃れて深山に入れり、飲食は木の実などお食せし、隻寒気には堪へがたかりしにや、冬に至れば里に出て、綿入お一つづゝもらへり、春になり暖気お得れば脱捨て裸体に成り、一年に一度づゝ衣類の為に里に出しが、近き頃に到りては、仙術も追々に成就せしにや、衣類もなくて住けり、山に入りて後、予が球磨に遊びし年まで、凡四十年余といへり、是も近来は不思議の仙術多く、殊に百歳に余れるも、行歩健にて飛ぶが如し、九州に此二仙人有り、中国辺にてはたへて無き事なり、京都白川の山中には、白幽先生ありしが、今は若州の山中に移れりといふ、仙術の事もろこしのみに限らず、広き天下には種々の異人も多かりき、