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今昔物語
二十
陽成院御代滝口金使行語第十今昔、陽成院の天皇の御代に、滝口お以て金の使に陸奥の国に遣けるに、道範と雲ふ滝口、宣旨お奉て下ける間に、信濃国と雲所に宿して、其郡の司の家に宿たれば、郡の司待ち受て労はる事無限し、食物などの事皆畢ぬれば、主の郡の司、郎等など相具して家お出て去ぬ、道範旅宿にして不被寐ざりければ、和ら起て見行に、妻の有る方お臨けば、〈○中略〉年二十余計の女、〈○中略〉微妙くて臥たり、道範此お見るに、〈○中略〉思難忍くて寄也けり、〈○中略〉道範我が衣おば脱棄て女の懐に入に、暫は引塞ぐ様に為れども、気悪くも辞ふ事無ければ懐に入ぬ、去程に男の〓お痒がる様にすれば、掻捜たるに、毛計有て〓失ひたり、驚き恠くて強に捜と雲へども、〓て頭の髪お捜るが如にて露跡だに無し、〈○中略〉和ら起て本の寝所に返て又探るに尚無し、奇異く思ゆれば、親く仕ふ郎等お呼て、然にとは不言して、彼に微妙き女なむ有る、我も行たりつるお何事か有らむ、女も行と雲へば、郎等喜び作又行ぬ、暫許有て此郎等返来たり、極く奇異き気色したれば、此も然く有なめりと思て、亦他の郎等お呼て勧めて遣たるに、其も又返来て、空お仰て極く不心得ぬ気色、如此して七八人の郎等お遣たるに、皆返りつヽ其気色隻同様に見ゆ、返々奇異く思ふ程に、〈○中略〉夜暛るまヽに急て立ぬ、七八町許行く程に、後に呼ぶ者有り、見れば馬お馳て来る者有り、馳付たるお見れば、有つる所に物取て食せつる郎等也けり、白き紙に裹みたる物お捧て来たり、道範馬お引へて、其は何ぞと問へば、郎等の雲く、此は郡司の奉と候ひつる物なり、此る物おば何で棄ては御ましぬるぞ、形の如く今朝の御儲など営て候つれども、急がせ給ける程に、此おさへ落させ給てけり、然れば拾ひ集て奉るなりと雲て取すれば、何ぞと思て開て見れば、松茸お裹集たる如にして男の〓九つ有り、奇異く思て郎等共お呼び集て此お見すれば、八人の郎等皆人毎に恠く思て、寄て見るに九の〓有り、即ち一度に皆失ぬ、使は此お渡して即ち馳返ぬ、其時になむ郎等共我も然る事有つと雲出て、皆捜るに、〓本の如く有て、其より陸奥国に行て金請取て返るに、此の信濃の郡司の家に行て宿ぬ、郡の司に馬〓など様々に多取すれば、郡司極く喜て雲く、此は何と思て此くは給ふぞと、道範近く居寄て郡司に雲く、極く傍痛き事にては侍れども、初め此に侍しに、極て恠しき事の侍れば、何なる事ぞ、極て不審しければ問ひ奉る也と、郡の司物お多く得てければ、隠す事無くして、有のまヽに雲く、其れは若く侍し時に、此国の奥の郡に侍し郡司の年老たりしが、妻の若く侍しが許に忍て罷寄たりしに、〓お失ひて侍しに恠みお成して、其の郡の司に強て志お運て習て侍る也、其お習はむの本意在さば、此度は公物多く具し給へり、速に上り給て、態下り給て、心静に習ひ給へと雲へば、道範其契お成して、京に上て金など奉て暇お申して下ぬ、可然き物共持下て郡の司に与へたれば、郡の司喜て、手の限り教へんと思て雲く、此は輒く習ふ事にも非ず、七日堅固に精進おして、毎日に水お浴て、極く浄まはりて習ふ事なれば、明日より精進お始め給へと、然れば道範精進お始て、毎日水お浴て浄まはる、七日に満つ日、後夜に郡司と道範、亦人も不具して深山に入ぬ、大なる河の流れたる辺に行ぬ、永く三宝お不信と雲ふ願お発して、様々の事共おして、艶す罪深き誓書おなむ立けり、其後郡司の雲く、己は水の上へ入なむとす、其の水の上より来らむ物お、鬼にあれ神にあれ、寄て懐けと雲置て、郡の司は水の上に入ぬ、暫許有れば、水の上の方空陰て、神鳴り風吹き雨降て河水増す、暫許見れば河の上より、頭は一抱許有る蛇の、目の鏡お入たる如くに、頸の下は紅の色にして、上は紺青緑青お塗たるが如くにつやめきて見ゆ、前に下らむ者お抱けとは教へつれども、此お見るに極めて怖しくて草の中に隠れ臥ぬ、暫許有て郡の司出来て、何ぞ抱き得給へりやと問へば、極めて怖しく思えつれば不抱つはと答ふれば、郡の司極く口惜く侍る事かな、然らば此事習ひ難得し、然るにても今一度試むと雲て又入ぬ、暫許見ば長は四尺計有猪の牙お食出したるが、石おはら〳〵と食ば、火ひら〳〵と出て、毛お怒らかして走り懸て食ふ、極て怖しく思へども、今は限りぞと思て寄て抱たれば、三尺許なる朽木お抱きたり、其時に妬く悔しき事無限し、初も此る者にてこそは有つらめ、何とて不抱りつらむと思ふ程に、郡の司出来て何ぞと問へば、然々抱たりつと答ふれば、郡の司前の〓失ふ事は習ひ不得給は成ぬ、墓無き物に成しなど為る事は習ひ給ひつめり、然れば其お教へ申さむと雲て、其事おなむ習て返にける、〓失ふ事お習ひ不得お口惜く思ひけり、京に帰上て、内に参て滝口の陣にして、滝口共の履置たる沓共お諍ひ事おして、皆犬の子に成して這せけり、亦古藁沓お三尺許の鯉に成して、大盤の上にして生ながら踊せなど為る事おなむしける、而る間、天皇此由お聞食して、道範黒殿の方に召て、此事お習はせ給ひけり、其後御几帳の手の上より、賀茂の祭の供奉お渡す事などお為させ給ひけり、