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撰集抄

高野参事附骨にて人お造る事同比〈○治承二年九月〉高野の奥に住て、月の夜比には、或友達の聖ともろともに、橋の上に行合侍て、ながめながめし侍しに、此聖京になすべき態の侍とて、情なくふり捨てのぼりしかば、何となくおなじくうき世おいとひ、花月の情おもわきまへらん、友も恋しく覚しかば、おもはざる外に、鬼の人の骨お取集て、人に作なす様、可信人のおろ〳〵語侍しかば、其まゝにして、広野に出て、骨おあみ連ねて、造て侍れば、人の姿には似侍しかども、色もあしく、すべて心もなく侍き、声は有ども、絃管の声のごとし、げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ、たゞ声の出べきはかりごとばかりおしたれば、ふきそんじたる笛のごとし、大かたは是程に侍るもふしぎなり、さても是おば何とかすべき、破らんとすれば殺業にやならん、心のなければ隻草木とおなじかるべし、おもへば人の姿なり、しかじやぶれざらんにはとおもひて、高野の奥に、人もかよはぬ所におきぬ、もしおのづからも、人のみるよし侍らば、ばけものなりとやおぢおそれん、さても此事不思議に覚て、花洛にいでゝかへりし時、おしへさせ給へりし、徳大寺へまいり侍しかば、御参内の折ふしにて侍しかば、むなしくまかり帰りて、伏見前中納言師仲卿の御もとに参りて、此事お問奉りしかば、何としけるぞと仰られし時、其事に侍、広野に出て、人もみぬ所にて、死人の骨お取集て、頭より手足の骨おたがへずつゞけ置て、ひざらと雲薬お骨にぬり、いちごとはこべとの葉おもみ合て後、藤の若葉の糸などにて、骨おからげて、水にて度々洗侍て、頭とて髪の生べき所には、西海枝の葉と、むくげの葉とお、はいにやきて付侍て、土の上にたゝみおしきて、彼骨おふせて置て、風もすかずしたゝめて、二七日おきて後に、其所に行て、沈と香とおたきて、反魂の秘術おおこなひ侍きと申侍しかば、大方はしかなり、反魂の術猶日浅侍にこそ、我は思ざるに、四条大納言の流お受て、人お作侍き、今卿相にて侍と、其とあかしぬれば、作たる物も、作られたる物も、とけうせければ、口より外には出さぬなり、其程まで知られたらんには、教申さん、香おばたかぬなり、其故は香は魔縁おさけて、聖衆お集る徳侍り、しかるに聖衆、生死お深くいみ給ふ程に、心の出くる事かたし、沈と乳とおたくべきにや侍らん、又反魂の秘術お行人も、七日物おばくうまじきなり、しかうして造り給へ、すこしもあひたがはじとぞ仰られ侍し、しかあれども由なしと思帰して、其後は造らぬなり、又中にも土御門の右大臣の造給へるに、夢におきな来て、我身は一切の死人お領せる物に侍り、主にもの給あはせで、何此骨おば取給にかとて、うらめる気色見えてければ、若此日記お置物にあらば、我子孫造て霊に取られなん、いとゞ由なしとて、やがてやかせ給にけり、聞も無益のわざと覚侍、よく〳〵心得べき事にや侍らん、