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奇異雑談集

丹波の奥の郡に人お馬になして売し事はるかのむかし、たんばの国おくのこほりの事なるに、山ぎはに大なる家一軒あり、隣もなし、人数十人あまり、渡世心やすくみえたり、農作おもせず、職おもせず、あきなひおもせず、心やすき事人みなふしんす、馬おかひにゆくとも見えぬに、よき馬おうれり、一月に二匹三匹うるゆへに、これまた人ふしむするなり、かいどうなるゆへに、旅人一宿する事あり、ない〳〵人の申は、亭主大事の秘術おつたへて、人お馬になしてうるといへり、一定おばしらざるなり、あるとき旅人六人いきたり、五人は俗人、一人は会下僧なり、亭主うちへ請じいれて、枕お六つ出して、御くたびれなるべし、先御やすみあれといふ、俗人みな臥たり、客僧は丹後にて、粗きくことあるゆへに、ようじんする也、ざしきのおくにいてふさず、垣のひまより内おのぞけば、いそがはしくみえたり、小がたなにて、かきのひまおすこしくりあけてよくみれば、畳の台ほどなるものに土一盃あり、そのうへに物のたねおまきて、上に薦おきせたり、釜には飯おたき、汁おたき、鍋に湯おたけり、茶四五ふくのむほどして、もはやよかるべしとて、こもお取れば、あお〳〵としたる草二三寸におひしげりたり、葉は蕎麦に似たり、それおとつて湯に煮て、そばのごとくにあへて、大なる椀にもりて、さいにして飯お出したり、俗人おきて皆食す、めづらしきそばかなといふて賞玩す、僧は食するよしゝて、すみのすのこの下へすてたり、饌おあげてのち、風呂おたきてたちて候、一風呂御いりあれといへば、もつともしかるべしとて皆いれり、僧はいるよしゝて、わきへはづして、東司のうちにかくれいてよくみれば、亭主きり、かなづち、かなくぎおもちきたりて、風呂の戸おうちつけたり、客僧こゝにいて、人にみつけられては曲なしとて、くらまぎれに出て、風呂のすのこの下へいりて、しづまりいてみれば、良ありて亭主、もはやよきぞ戸おあけよといひて、釘ぬきにて戸おあくれば、馬一匹出て、いなゝひてはしりてゆく、夜にて門おさすゆへに、庭におどりまはる、又一匹いで、又一匹出、五匹出たり、今一匹出べしとてまてども出ず、火おあかしてみれば何もなし、今一人はいづかたへ行たるぞとたづぬる間に、すのこの下より出て、うしろの山にのぼりて遠く行なり、翌日国のしゆご所にゆきて、上くだんのやうおつぶさにかたれば、しゆごのいはく、曲事なり、聞およびし事さてはまことなりとて、人数おそつして彼に発向し、人おみなうちころしてはたすなり、