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古史伝
十八
抑後世の薬師ども、禁厭法おば、都に用ひぬ事と成ぬれども、我が古は、上件の由緒あれば、更にも雲はず、赤県州にても、古は禁厭お専と用たりけり、其は彼国の医術は、もと巫祝の徒より初りしかばなり、〈そは山海経と雲書に、巫抵、巫陽、巫履、巫几、巫相など雲ありて、注に皆神医なりとあり、此は呪禁、祓除、呪詛などお行ふ者ながら、其術おもて、病お愈す故に、そお医とも雲りと通ゆ、其は内経賊風篇に、先巫知百病之勝、先知其病所従生者、可祝而已也と雲るおも思ふべく、また古今医統に、巫咸は鴻術お以て尭の医となる、祝して人の福お延べ、病お愈し、樹お祝すれば樹枯、鳥お祝すれば鳥墜などもあり、〉さて其呪禁お行ひて、病お治たる趣は、説苑と雲書に、上古之医、苗父之為医也、以菅為席、以芻為狗、北面而発十言耳、請扶而来、輿而来者、皆平復如故、と有お以て知べし、〈発十言とは、呪文お唱へたる事と通え、菅席芻狗など、古意に協ひて聞ゆるは、下に雲如く、大名牟遅、小名牟遅神は、外国々に往来ます神なれば、彼神たちの伝へ給へるが遺れる法と通えたり、〉さて此術お行ふ者お巫医といふ、論語に、人而無恒不可以作巫医とある是なり、〈此お巫と医と二つに見たる説は非なり、其は汲冢周書と雲物に、郷立巫医、具百薬、以備疾災、畜五味以備百草、と雲るおもて、巫と医と二つならぬ事お知べし、〉さて漸々に呪術おば次になして、薬お服しむる事お専と為る者も出来し故に、周と雲し代になりて、官お立るに、巫と医お別にせり、其は周礼お見るに、巫の外に医師と雲官ありて、掌医之政令、 聚毒薬以共医事と雲ひ、また疾医と雲有て、掌養万民之疾病と見えたり、〈かく別に立たる故に、前の如く、巫彭、巫咸など称ふこと止みて、春秋左氏伝などお見るに、医お業とする者おば医緩医和など雲ふ事とはなりしなり、〉