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志都の石室

抑皇国の古へ、神代は申すに及ばず、其後も人心大らかで、物思ひも無く、悪き病などは無き故に、医薬方術も事少くて、足はぬことも無つたる処が、仁徳天皇の大御代頃より初めて、次々に漢人ども多く参来り、書籍ども貢奉り、又此方よりも、彼国の物学びに大御使お遣はされなど有て、種々のこと、医薬方術、及び其書どもヽ、伝はり来て、人々其お珍らしく思ふに付ては、いつとなく皇国の方は粗略になり、本より神学もて書きたるも有れど、漢字もて記せるが多く、彼此と和漢紛らはしく、人々次第に漢意に移り行て、終には皇国の医薬方術おば、重んぜざることヽ成たるは、甚以て慨く憤ろしきことでござる、然るに近頃、わが古学の興りたるより、此道も開け初て、漢方に依らず、医療お為す者も、かつ〴〵出来たるは、然すがに神の御国の印にて、いとも愛たきことでござる、
さて、外国より渡来たる物の中に、医薬の道などは、本より我大神等の、彼処に敏く、御伝へ置なされたるも有と見えて、殊に用お為す故に、又いつとなく御国の物と成て、普く用ふる上は、本より外国の方じやとても、強て嫌ふべきことでは無い、其と雲も、漢国は国がら悪き故に、病症もむつかしく、猶も薬品も風土に依て、ひ子こびたる物多く、療法も其に応ずること故に、自然と委くも成来たる物でござる、然るに御国も、中古より以来は、儒仏の道も弘まり、彼これと物ごと煩はしく、人心わるく賢しく、物思ふことの多くなるに付ては、古に無き難病どもヽ出来たに依て、そこでかの漢方が丁どよく相応するやうに成て、行はれた物でござる、譬へば盗人多き国々にては、険しき法度お立ると同じ理で、むつかしき病が出ると、又随て此道に賢しき人が出来る、医者多き地には、難病も多い物で、如此く段々委しくも煩はしくも成来たものでござる、さて又近ごろ、西の極なる阿蘭陀と雲国よりして、一種の学風おこりて、今世に蘭学者と称する者、即ちそれでござる、元来その国柄と見えて、物の理お考へ究むること甚だ賢く、仍ては発明の設も少からず、天文地理の学は雲に及ばず、器械の巧なること、人目お驚かし、医薬製練の道ことに委く、其書どもヽ次々に渡り来て、世に弘まり初たるは、即ち神の御心であらうでござる、然るに其渡り来る薬品どもの中には、効能の勝れたるも有り、又は製練お尽して、至て猛烈なる類も有て、良医これお用ひて病症に応ずれば、灼然き効験お奏すも有れど、本その薬性お知らず、又は其薬性は知ても、庸医らは其用ふべき処お知らず、若その病症に応ぜざれば、大害お生じて、忽ち人命お亡ふに至る、此は譬へば猿に利刀お持せ、馬鹿に鉄鉋お放た令るやうな物で、信に危いことの甚しいでござる、