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寛永系譜
三百九十一
丹波姓施薬院〈○中略〉
全宗〈○康頼二十一世孫〉
施薬院法印 生国同前〈○近江〉 昇殿
はじめは山門の僧なり、医となり、のち還俗して、雖知苦院道三にしたがひ医術お学ぶ、秀吉一統のとき、全宗つねに幄中に侍して、恩遇他に異なり、いふところかならず聴れ、のぞむ所かならず達す、 天正年中、秀吉特に朝に達して、 施薬院使に任ず( ○○○○○○○) 、時に門戸おひらき、天下疾病の者おまねき集め、薬餌おほどこす事一百日にして、施薬院の実お示す、そのゝちも、又此事おなすこと一百日、全宗は、もと丹波氏なり、医術におひて其伝あり、子孫 施薬院おもつて称号とす( ○○○○○○○○○○○) 、これ官おもつて氏とする例か、