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文部省第一年報
長崎医学校( ○○○○○)
学校位置 本校は、第五大学区長崎県下第一大区二の小区長崎村小島郷に在り、〈校内幅員二千八百十二坪八合四勺〉
沿革 文久元年九月、長崎奉行岡部駿河守、及医官松本良順等、和蘭医官ぽんぺに諮詢し、彼のみりたいれほすぴたーる〈軍事病院〉及ひゆるへるほすぴたーる〈都人士病院〉の制お斟酌して、設立する所の病院なり、始め 養生所( ○○○) と称し、傍ら医学の本科お講肄す、後ち 精得館( ○○○) と改称し、蘭人ぽーどいえんお教師とす、後同国人まんすへーるどお以て之に代らしむ、慶応元年十月、物理、化学の教場お増築し、蘭人はらたまお以て、其学科お教授せしむ、明治元年維新の際、長与専斎お以て学頭とす、其費用出納の如きは、姑く旧に依て、長崎府庁の処分たり、