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徳川禁令考
十七官医長
官医長〈元和年間、京都より、今大路、半井の両医お聘して典薬頭に為すとの伝説あれども、確書お得ず、然るに元完日記の、元和二年正月五日の条に曰ふ、秀忠公白書院へ御著座、僧侶独礼、并今大路民部卿中里等総礼とあるお見れば、此前既に幕下にあるもの疑なし、此裔世襲して近世に至る、累代武鑑不載之、柳営秘鑑、官中秘策に其礼謁の班席お掲ぐ、〈役人班列書、安政武鑑、〉曰、両典薬頭半井出雲守千五百石、今大路右近〈元中務大輔〉千二百石、按に此両家は、衆官医と同じく、若年寄の支配たりと雖も、官医の薦る、薬剤能否お撿して、其権自ら一曹の長たり、〉