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日本医道沿革考
亮〈○今村〉按ずるに、〈○中略〉我邦、古昔儒お以て医お兼ぬる者無きに非ず、延暦大同の間に菅原清公あり、承和嘉祥の間に紀夏井等あり、是我邦儒にして医お兼る者の始にして、其後戦乱の世に及て、文献共に衰廃し、永く復た此の如き者あるお見ず、元和完永の際に至り、堀杏庵、江村専斎、板坂宗憺、森雲竹等の諸賢出て、復た皆儒お以て医お兼ね、医お以て儒お兼ね、当時皆世に顕るヽ者なり、又其後物茂卿の如きは純儒にして医書の注釈諺解等お作り、饕りに医域に闖入し、其害お後生に与る者少からず、然れども其功亦無きに非ざるなり、