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奇魂

医薬名義
医の僧の姿と成( ○○○○○○○) しは、同書〈○和気氏系図〉に、長成、従四位上、典薬助、承久三年出家、法名俊仏、翌日仙院為御供参隠岐、後帰京、と有ぞ初也ける、こは皇帝の故有て幸ます時なれば、形おかへつゝも仕奉しは、忠実なる士の所為にて異なるお、 〓に僧形と成はいかにぞや、こは鎌倉の武家抔にて、戦場に使ふに事無らしめんが料に然なしけむが、其風自ら京の官医にも移けむ、同書に、明重雲々、始准武家医為法師体、法名宗鑑、と有ぞ実に始也けらし、其原は古僧輩に呪禁は更也、薬方もて人お療ることお許されて、法蓮医に精しとて、其親族に宇佐君姓お賜り、空海も表お奉て、太素、本草、病原抔お論て、人患お除んと奏しゝ抔、史に有類にて、乱世の比は、まして打任たる業の如成けるお、医も又僧の姿となれる習なるからに、医と僧と混しき事もありけん、然れども古は医官正ければ、僧と紛しからざりしかど、猶僧は 不祥( さかなか) りきとみえて、続紀〈養老元年〉に、詔曰雲々、僧尼依仏道以持神呪救病徒、施湯薬、而療固病、於令聴之、方今尼僧、輒向病人之家、詐祷幻恠之情、戻執巫術、逆占吉凶、恐脅旄稚、稍致有求、道俗無別、終生姦乱雲々と有、此弊今は殊に甚し、