[p.0744][p.0745]
風俗見聞録

医業の事 今の医師は、医道の本意お失ひ、猥りに驕奢にほこり、欲情のつよき事言語同断なり、医は元仁術にして、人お助くるお元とし、其病源お探り得て、其病苦お救ふお専務とするもの也、韓退之が曰、宰相となつて天下お医せんや、医師となつて人の危急おすくはんやといへり、聊も欲情ありては、其妙術お施す事不能也、蜀の関羽腕に矢疵お得し時、医華陀に療ぜしむ、日ならずして愈る、関羽喜びて謝礼して、黄金百謚お与ふ、華陀が曰く、予は病お療ずるもの也、かならず黄金お好むものに非ずと、辞して不請と雲、医道は元来聖教の道にて、仏道の慈悲と相対する程のこと也、既に耆婆扁鵲は、仏菩薩の化身などいへり、我邦にても、和気丹波の頃は勿論の事、近来金守道三、甲斐徳本など始、其外とても、驕奢安逸の心なく、別て欲情は絶てなし、一途に仁術お施したる者なり、然るに当世の玄師は、御代の結構過ぐるに任せて、医術の修業怠りて、奢侈に募り、衣服美麗お尽し、住所も玄関書院其外結構、家従等迄も権式お張り、家内賑やかに暮し、不行状お尽し、飲食の楽お常とし、医道の玄妙至らざる故、深切の情更になき故、表向お飾つて左も薬医の体お見せて、人お訛すなり、又世間の人々も、右体立派なれば、療治も其如く上手成ると心得て、尊ぶなり、双方心に実儀なき故、眼くらみて是非お見分くる事不能、又業体に対して、欲情の深事言語同断の事にて、或は有識の家、又は卑賤たり共富貴なる病人へは、丁寧に療治おなし、貧窮のものへは疎略になし、殊に官医、又大小名の医師などは、別て権高く、病家へ見廻るにも駕に乗り、若党陸尺、其外の供廻り、武士の如く、又医者の供廻とて、一と風替りて、当世の流行医故病用の鬧敷体に見せなすとて、道お急ぎ走りて、却て武士の往来よりも騒敷、行違に人お悩まし、或は喧嘩お仕かけ、若又薬箱などに当りしものあれば、忽ち打擲おいたし、彼道にて、 薬箱は大切( ○○○○○)の道具なりとて、別て威勢お取るものなり、是又謂なき事也、武士の鎗長刀ならば、身命お極る時の要害の道具なれば、人手にかけまじき筈のもの、若差支る者あらば、彼是申べき事にも有べきに、薬箱お夫等と同じ様に心得るは、間違なり、鎗長刀は、人お殺害する道具なり、薬箱は人お助くる品お入しものなり、人お助くる品お以て、人お痛る事や有べき、殊に仁術法体の身分にして、甚不相当の振廻なり、偖又右の供廻りの者共、病家へ参りし時、 弁当代( ○○○) と号して金銭おねだり取る事通例なり、其価或は金五十匹、百匹、乃至二百匹、三百匹など遣す事なり、是米半俵、又壱俵、二俵の価なり、供廻り才かに、四五人八九人などの弁当には、余る程の過ぎたる事なり、其弁当代お幾軒となく、病家さきにてとる也、依て当時貧なる家には大医は呼かね、容易に療治も頼み兼る事也、又医師の元へ参りても、病脈より先に貧福の脈お診して、貧相成見体なれば、心お用ひて療治お致し呉ぬ也、さて右体驕奢に誇り、権威お張、仁業お失ひて、欲情に拘る故、療治お頼む病者少く、病者少ければ其身の修業も出来ず、全体貴人又は富有の病は、多くは色欲の傷歟、飲食の溢より起りたる病にて、療治の功ならず、卑賤又貧窮人の病は、種々の難病、及び病根の浅深命根剛柔等、診察の出入多くあるは悉く修業になるべきなり、然るに卑賤と貧窮お嫌ふ故、療治の修業出来ざるなり、又医師の大小お帯し、武士の如く権式お張る事、近来の事なりと雲、国初頃は、法体にて、十徳お著、小脇差お帯し、駕に乗ることもなく、供廻りも連れず、町人並の家に住ひ、苗字も名のらずありしと雲ふ、〈○下略〉