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志都の石室

序じやに依て、俗の医者坊どもの有様おあら〳〵申さうが、其はまづ医お為す者は、孫真人も申たる通り、其容貌お厳かにいたして病家に信ぜられ、病の邪気には、怖れらるヽやうに致したいものじやが、今時の医者の仕ざまは、甚しいでござる、其はたヾ名利名聞のことにのみかけ走て、真実から出て致すこととては無に依て、其容貌おかざり、大門戸お張るのも、拙者の隻今申す処とは見込が違つて、おのが潤屋の計にのみ致すことで、雲はヾ体のよい売薬師でござる、その姦曲わる工おして人お欺き、物取のてだての巧者なること、医術の方よりは、百陪もまして居る、此方も屋鋪に居たるみぎりは、そんな委き訣も知らんで居たが、かやうに外宅いたして、始めはしつかり、此道お売うと存じて、弘く医者にも交つて見たる処が、医者が誠にたんと有て、風来が天狗しやりかうべに、今時の医者と雲は、武士の子なれば惰弱もの、百姓なれば疎〓もの、町人なれば商お為得ず、職人なれば不器用ものにて、口過おしかねる者が医者にでもならうと雲、それお号けて、 でも医者( ○○○○) とて、あたまくるりの長羽織、見えと座形ばかりにて、露路も長屋も、蹈もすべるも、そこらこヽらが、犬の糞だらけ、医者だらけ、病家もめくら、医者もめくら、めくら千人の浮世なれば、これお呑むもの、往生の素懐おとげながら、恨みもせねば気の毒なとも思はず、あヽ悲しいかな、文盲なるかな、と雲たる如く、いや誠に、あいそもこそも尽果た者どもばかりで、其業のことは、人の命にあづかる大切のこと故、相応に学んでも居やうし、是しきのことは知つても居やうと思ふ処が、一向なもので、今の古方家となのる輩は、やう〳〵吉益周助が、傷寒論と金匱要略の中から、おのが気に入たる方お拾ひ出して拵へた、類聚方と雲物お、なま〳〵に心得たぐらいのこと、又後世家と雲輩は、方彙ぐらい、もちつと働た処では、津田玄仙が療治茶談、加藤玄順が医療手引草、やうの物お見かぢつて、夫でもさすがに、今時は人が利口に成て居るから、人の侮りお御ぐ為と見えて、古き医書の名目ばかりは能く覚え、その内一ひら半ひらばかりの処お記億なんどもして、夫で素人おおどし、甚だしきは夫も知らず、彼川柳点に、かごへは無点、かな付は内で読み、と雲ひ、また唐本は駕にのる時ばかり入れと、雲たる如く、づぶよめんで、読める面おして居るも多く有るが、よめる奴も読めぬやつも、大抵はたヾ人おそらさぬとか雲、修行ばかりに身お入れて、世間の人気おはかり、女や愚人の心に合ふやう〳〵、とすることばかりお勉めて致し、少しも為になりさうな病家へは、何でも無い病にも、日に二度も三度も見舞て、物の哀れお知貌にもてなし、大小便もなめんばかりに世話おやき、年始暑寒の見舞は雲に及ばず、ふだんも伺候してきげんお取り、遇々おのが出入の家へ他の医者でも呼で薬お貰ふと、其おそこいぢわるく邪魔お入れ、つヽき出し、其は但し自分も出入処ゆえ、まづ夫とも思ふけれども、人の行先の病家おも手お入れ足お廻して覗ひ取り、又或は組合と雲が有て、五人か七人の医者が申合せて、其姦曲の為やうなどが、誠にかほどまでにも心の行届く物かと、甘心することばかりが多いでござる、〈○下略〉