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平家物語

医師もんだうの事
同じき〈○治承三年〉夏の比、小松の大臣〈○平重盛〉は、〈○中略〉其比くまの参詣の事有けり、〈○中略〉其後大臣下向の時、いくばくの日数おへずして、病つき給ひぬ、ごんげんすでに御なうじゆ有にこそとて、りやうぢおもし給はず、ましてきたうおもいたされず、其比そうてうよりすぐれたる名いわたつて、本朝にやすらふ事有けり、折ふし入道相国〈○重盛父清盛〉は、ふくはらの別げうにおはしけるが、越中のぜんじ盛俊おししやにて、小松殿への給ひつかはされけるは、しよらういよ〳〵大事なるよし、其聞え有、かねては又そうてうより、すぐれたる名いわたれり、折ふし是お悦びとす、よつてかれお召しやうじて、いりやうおくはへしめ給へと、の給ひつかはされたりければ、大臣たすけおこされ、もりとしお御前へめしてたい面有、先いりやうの事畏て承はり候ひぬと申べし、たゞしなんぢもよく承はれ、えんぎの御門は、さばかりの賢王にて渡らせ給ひしかども、いこくのさう人お都の中へ入られたりし事お、末代までも、けんわうの御あやまり、本朝のはぢとこそ見えたれ、いはんや重盛程のぼん人が、いこくのいしお王城へ入ん事、まつたく国のはぢにあらずや、〈○中略〉たとひ重盛命はばうずといふ共、いかでか国のはぢお思ふ心お存ぜざらん、此よしお申せとこその給ひけれ、