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近世公実厳秘録

望月三英法眼( ○○○○○○) 療治に付仁術の事
大御所様〈○徳川吉宗〉御匕に望月三英と雲医師有之、外療治功者にして、君の思召も他にことなりけるが、或年、狂言役者市川団十郎大病の節、いか成手筋にてや、望月の療知お乞ければ、三英、彼役者の方へ参られ候、日日見舞療治してやられけり、此事世上にていち〳〵批判しければ、或日、殿中にて、橘壮仙院法眼隆庵老、望月に向ひて、異見し給ひけるは、其元様は承り候得ば、狂言芝居の役者の療治お被成遣候由、将軍家の御脈おも伺ひ候者の、何共つヽしまずんば不可有所と存候、以来御用捨も可入所と申給ひければ、望月是おきかれて、いかにも拙者、此間市川団十郎お療治仕候、毎日毎日見廻遣し申候、猶御脈おも伺ひ候某に候へば、いつとても御用相仕廻候て、退出の節計見廻申候、然ばくるしかるまじき事にて候、夫医は仁の術と申候得ば、道路に倒れ彳み候者へも、脈お見て薬お与へ遣すわざなり、近世れき〳〵の医者衆、軽き者の方へ見廻事お嫌ひ、富貴分限の人計お療治する様に成行し事、残念成人心、浅間敷事にて候と被申しゆえ、壮仙院も無言にて退き給ひけり、去ればこそ、此三英、或時新橋の上に非人の子疱瘡お煩い居たりしお、通りかヽいて、是お見給い、駕籠より下りて、非人の脈お取りて薬おあたへられしとなり、此事人々かんじけるとなり、援お以、仁術といはれし事、相違せざるか大御所様、御他界の以後、寄合医師となられけるお、今年実暦五年亥四月被召出、大納言様御匕役被仰付けり、