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十訓抄

唐の后あしき瘡出き給て、其国の医師力及ばざりければ、日本雅忠と雲いみじきくすし有と伝聞給て、是お渡さるべき由、唐の帝より申送り給えりけるに、やりやらずの事、公卿の御さだめありけり、人々の申やう、こヽろ〴〵にて定りえず、帥民部卿経信卿とばかりまたれて参て、事の次第聞て、唐の后の死なん、日本に何かくるしとたゞ一こといはれたりければ、意見に付て渡さるまじきに定にけり、其返牒は匡房承りてぞ書れける、
双魚難達鳳池之浪 扁鵲凱入雞林之雲
此句おば、和漢共にほめあへりけるとぞ、
昔反生天皇かくれ給て後、御弟の允恭天皇いまだ皇子におはしける時、久しく涸疾に沈み給へりけれ共、群臣強にすゝめ甲によりて位に即給にけり、其後使お新羅へつかはして、彼国の医師おむかへよせて御病おつくろはるゝに程なく愈にけり、殊に賞し給て本国へ返しやられけり、其例聞及て、異国よりも申送りけるにや、