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医道二千年眼目編
十三下
皇和、万事みな中華の道お奉ずるの邦なり、彼聘使の往来する、晋代六朝より多く相ひ通ず、李唐に至つて聘使数々往来することあり、留学の者も、亦まヽこれあり、ここお以て、先づ唐医孫思貌が 千金方( ○○○) お伝へ、 本草( ○○) は重修本草お先とす、太素、素問、並にこれお医院の学に立て、医経と称し、大医博士、典薬寮、施薬院の設あり、後又趙宋朱明の方書お伝へ 医生或は西渡( ○○○○○○)して、これお学ぶ、遂に今の医流となれり、凱にそれ万病一毒の方法業術、毫毛もこれお知るものあらんや、中華斯業湮滅してより後、我が皇和に東渡する所の医方、みな今の医流の外、別にその派あることお聞かず、我が邦別に医方あることなし、異方の医術行なはれてより、今に至るまで千有余年の間だ、士君子より医人に至るまで、毫毛も医術のぶ分岐したることお知るものあることなし、況や古疾医の道あること知らんや、近年豪傑の士、後藤先生父子、香川、山脇数氏起ることあれども、決して古疾医の道の越人仲景の方法に存するこおあることお知らず、唯雲古方と、自ら称して古方家と雲、