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日本医道沿革考
後陽成帝の朝に至り、曲直瀬正慶といふ者出て、 金の李東垣の方法( ○○○○○○○○) 、及び 元の朱丹渓の方法( ○○○○○○○○)お表準遵奉し、其名声朝野に振ひ、技術一世お風靡す、海内奉じて以て師表とす、是に至て、和気丹波以下五典薬諸家の主張する所の和剤局方、医方大成等の説、遂に衰廃し、金元の医学盛に行わる、〈○中略〉
後西院天皇明暦万治の間に至り、林市之進、饗庭東庵等出て、 金の劉完素唱ふる所の五運六気の説( ○○○○○○○○○○○○○○○○)お奉じ、又本朝古制の医式に本き、素問、霊枢、難経等お講明す、東庵の門人味岡三伯と雲ふ者あり、亦師説お奉じ、盛に世に行はる、三伯の門人井原道閲、浅井周伯、小川朔庵、岡本一抱、益々劉氏の学お主張す、是に於て運気五行の説、蔵府経絡配当の論起る、