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皇国医事沿革小史
後編第六期
天保弘化の際、〈紀元二千五百十年代〉京師に、新宮涼亭、小石元瑞あり、共に近畿医家の泰斗たり、〈○中略〉元瑞、父〈○元俊、永富鳳介門人、〉の志お継ぎ、専ら此学に精お尽し、別に一派お為し、理は和蘭に考ふるも、方は漢蘭お雑へ取り、少しも偏執する所なく、鍼灸の末技に至るまで、其適症お考て試用せり、後ち一家言お建て、究理堂備用方府お著はす、其方府記聞は門人の集録する所に係る、爾後其流派四方に伝はり、当時の漢医者流其移り易きお喜び、之に効ふ者多し、之お 漢蘭折衷家( ○○○○○) と称す、元瑞、嘉永二年〈紀元二千五百九年〉六十六歳にして歿す、西洋内科術お闡くの功、元瑞其多きに居る、