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康富記
嘉吉二年十月廿五日壬子、是日禁裏様〈○後花園〉御腫物平愈御候間、御付薬洗落之、御内薬も今日まで被聞食也雲々、早々御本復天下大慶也、珍重候、医師下郷也、盆一砂金三十両被下雲々、御内薬者清阿、又典薬頭丹波頼豊朝臣等令調進者也、其外之 本道医師( ○○○○) 秀長朝臣、盛長朝臣、茂成朝臣、篤忠朝臣、保成朝臣等、済々雖有之、皆不参入候間、応勅喚可参内之由、内々雖所望申、聊以不被召也、